おじゃまタクシー■vol.6『大阪市内に飛行場?(大阪市長の英断)』


【おじゃまタクシー】

ちょっとおじゃまします。

【桜にN】(日本交通グループ関西)の元ドライバー 「日交郎(ニコロー)」が、タクシーやハイヤーの乗務経験 をもとに、安全運転に関することや大阪の話題などを自由に 書き綴るブログです。

おヒマなときにでも目を通していただければ幸いです。

日本交通 行灯

おじゃまタクシー 大阪市役所

淀屋橋交差点から大阪市役所方面を望む

大阪市内に飛行場って…。いや、昔の話しなんですよ。それも勘違いだったようでしてね。

さて「御堂筋」が現在のルートで完成したのは1937年(昭和12年)のことでした。
(それまでのメインストリートは堺筋)

この御堂筋の生みの親ともいえる人物は第7代大阪市長「関一(せきはじめ)」(本来は旧字体)。

彼は、それまで裏道であった御堂筋(当時の名は淀屋橋筋)を全長4km強、最大幅員43m強の道路にするという計画をぶち上げ、それを聞いた当時の大阪市民たちは「大阪のど真ん中に飛行場でも作る気ぃかいな!」とひっくり返るほど驚いたそうです。

しかも、その下に日本初の公営地下鉄を走らせるとまで言い出しました。

これらの計画は関市長が100年先の都市計画に視点を置いた構想だったのです。

(『御堂筋の歴史』(大阪市)https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000239175.html

ところで市営地下鉄は御堂筋の完成に先立つ1933年(昭和8年)に梅田~心斎橋間が開通したのですが、当初から200mを超える長大なホームが建設されていました。もちろん当時からたくさんの乗客がいたわけでもなく1両の電車が行き来していただけです。

当時としては壮大過ぎるものだっただろうと思いますが、現在の10両編成の御堂筋線でもそのまま使えているなんて…。

このようなことを指して「先見の明」というんでしょうね。

関市長、あんたはエラい!

    おじゃまタクシー 関一

    第7代大阪市長 関一
    既出『御堂筋の歴史』より

おじゃまタクシー 大丸心斎橋

大丸デパート心斎橋店の正面意匠

関市長の英断のおかげで、今でも御堂筋は大阪を代表する道路であり、さらにその界隈は大丸デパート心斎橋店を中心として有名ブランドのショップが立ち並び大阪の近代の歴史を体験できるレトロモダンな街の中心軸となっています。

大丸デパート心斎橋本店といえば、あの近江兄弟社の創始者で建築家でもあった「W・M・ヴォーリズ」の設計による「ヴォーリズ建築」としても有名ですよね。

【ヴォーリズの建築物】
https://japan-geographic.tv/index-vories.html

さて、次回のテーマは「酒は百薬の…」です。

酒は涙か溜息か、はたまた薬か害悪か、どうなんでしょう。

(ニコロー)

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