おじゃまタクシー■vol.11 『大阪巡記①』~北新地の謎

おじゃまタクシー■vol.11 『大阪巡記①』~北新地の謎


【おじゃまタクシー】

ちょっとおじゃまします。

【桜にN】(日本交通グループ関西)の元ドライバー 「日交郎(ニコロー)」が、タクシーやハイヤーの乗務経験 をもとに、安全運転に関することや大阪の話題などを自由に 書き綴るブログです。

おヒマなときにでも目を通していただければ幸いです。

日本交通 行灯

北新地 おじゃまタクシー

さて、今回は大阪の「謎」や「不思議」をその歴史から辿る「大阪巡記」の第1回目「北新地の謎」です。

大阪の「北新地」といえば東京の銀座と並び称されるほどの歓楽街で、高級なバーやクラブなどがひしめき合っている場所なのですが、そもそもなぜ、新地の「本通り(ほんどおり)」より南側に「上通り(かみどおり)」があるのか? 逆とちゃう??

そして(新地の中にはないのだけれども)「桜橋」や「浄正橋(じょうしょうばし)」と何気なしに口にしているが、ではそれらの橋はどこにあるのか?

…考えれば考えるほど「謎」ですよね!

で、最初にドーン!と地図を載せました。ご覧になってわかるように北新地周辺から中之島界隈の詳細です。でも右から左にかけて国道2号線と堂島川の間に見慣れない川筋を描いています。赤い文字で「蜆川(しじみがわ)」と表記した青い線です。

蜆川 おじゃまタクシー

中央河庄筋にある旧蜆川の碑

そうなんです!
今の北新地の中には1909年(明治42年)まで「蜆川」という川が流れていました。
本名?は「曽根崎川」らしいのですが「蜆川」が通称やったそうです。
(その他「梅田川」「福島川」などと呼ぶ場所もあったとか)

実は1909年(明治42年)に「北の大火」といわれている大火事があり、天満から福島まで全焼したという記録があります。
出火元が天満にあるメリヤス工場やったらしく「天満焼け」ともいわれていました。

北新地 上通り おじゃまタクシー

御堂筋より上通りを望む

その火事場の瓦礫などが蜆川に投げ込まれ、結局は埋め立てられて現在に至る、と。
位置関係でいいますと、地図でもわかるように「本通り」と「上通り」の間に流れていました。
この蜆川が埋め立てられるまでは、川の南側が「堂島新地」、北側が「曽根崎新地」でしたが、「曽根崎新地」という地名は今現在でも残っていますね。

そこで「本通り」と「上通り」の謎ですね。実は正確な名称は「(曽根崎)新地本通り」と「堂島(新地)上通り」といいまして、即ちそれぞれの通りが属している場所が違うということなんです。

さらに「北新地」の語源ですが「曽根崎新地」が「堂島新地」の北側にあるので元々は「北の新地」と呼ばれていたのが縮まり「北新地」になったというのが真相のようです。
蜆川が埋め立てられたことにより「曽根崎新地」と「堂島新地」が地続きになったので、まとめて「北新地」と呼ばれるようになったのでしょう。

でも心斎橋や宗右衛門町のある「ミナミ」に対して「キタ」と呼ばれているイメージの方が強いですけど。

そしてもう一つの「謎」…「桜橋」「浄正橋」の話し。もう地図に示していますが、そのあたりの詳しいことは次回「大阪巡記②」に回すことにしましょう。

(ニコロー)

#桜にN #安全運転 #ニコロー #北新地 #蜆川 #曽根崎川 #梅田川 #福島川
#北の大火 #天満焼け #曽根崎新地 #堂島新地

【参考資料】
「十三のいま昔を歩こう~消えた北の新地・蜆川 1」
http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-105.html
「キタの大火」
http://www.eonet.ne.jp/~otora/page172.html